オッサンにしか分からないレトロゲームとゲームメーカー各社の壮絶な戦歴を振り返ってみた

ドット絵単調な音楽…懐かしきレトロゲーム。思い返せばノスタルジーな印象のゲーム機たちですが、兵達が夢のあと…そこには激しいゲームメーカーとの戦いがありました。時代を彩った名作ゲーム達とともに、その歴史を振り返り感涙とともに嘲り楽しんでみましょう。

 

懐かしいレトロゲームたちの戦い!

PS4switchスマホゲームPCゲームなどなど…今や多くのゲームがあり、いたるところでゲームを楽しむことが出来ます。

今でこそゲームというのは、いちエンターテインメントとして当たり前のようにありますが、かつてはここまで大きなエンターテインメントとしては成り立っていませんでした。

元はPCゲームとしてあり、そんなPCも普及してなかった時代ですから、

ゲームもまたエンターテインメントとしては浸透してなかったというのは当然といえるでしょう。

 

そんなゲームを今現在のような地位に達したのは、いわゆるレトロゲームと呼ばれるゲームたちです。

いまでこそ、画質が悪かったりゲーム性に乏しい印象を受けてしまうものもあるレトロゲームですが、そんな先人たちがいたからこそ、今のゲーム市場があると言っても過言ではないのです。

 

さて、ここではそんなゲームがいかに私たちの楽しみのひとつとして成り上がってきたのか

また、そこにはどんなメーカーおよびゲーム機たちの生き残りをかけた戦いがあったのかを、ここでは紹介していきたいと思います。

ドンピシャ世代の人は懐かしみながら、知らない世代は楽しみながらその歴史を知っていただければと思います。それではレトロゲームについて知ってみましょう。

 

80年代ゲーム機の戦い!

PCゲームが多かった80年代初頭。家庭用ゲーム機というものもいくつかありましたが、そこまで浸透しているものではありませんでした。

それが1983年大きく変わることになります。

そう、ファミコンの登場です。

 

この時代、ファミコンの登場に始まり、セガのメガドライブ、NECのPCエンジンゲーム戦国時代を生き抜いたゲーム機だといるでしょう。

 

ファミコン

ファミコンという言葉は、世代でなくてもご存じの人もいるでしょう。それくらい人気のゲーム機でした。

わずか約52色という色味や、ドットによる描画、単調な音源などはピコピコという表現をされたりと、独特の印象があります。

世代の人なら「ピコピコ音こそ癒し!ドット絵こそ温かみ!」と涙を流すほどの懐かしさが溢れ、

世代でない人にも単純に古い!というだけでなく特殊な印象を与えることでしょう。

 

当時コントローラーがついていて、カートリッジによるゲームの交換というのは画期的で、そのほかのゲーム機には無い魅力と利便性がありました。

 

ちなみに、筐体の特徴的なえんじと白をによるカラー配置は、最も安価な部材の色だったためこの配色になったと言われていますが、実際はスタッフの好みから来ているのだそうです。

 

また、アーケードゲームの移植も話題でした。

「アイスクライマー」「ディグダグ」「ゼビウス」「魔界村」などが家で出来ると喜んだ人も多かったことでしょう。

もちろん代表作品のひとつが「スーパーマリオブラザーズ」ですね。

 

メガドライブ

セガから1988年に発売されたメガドライブ。

メガドライブが登場する数年前からセガはゲーム機を作っていたものの、

世代の人でもなんかあったっけ?という知名度しかないことも。

 

セガマークⅢなどの家庭用ゲーム機も出していたものの、

ファミコンの前に撃沈されており、遅れること5年でようやくファミコンと戦えるまでになったのが、このメガドライブなのです。

 

16ビットの文字がまぶしく、多くの色や独特の音が特徴でした。「ソニックザヘッチホッグ」など人気キャラクターもメガドライブの武器でした。

 

PCエンジン

ハドソンとNECの共同制作により1987年に登場したゲーム機がこのPCエンジンです。

高価でこのハードを持っている人はお金持ちの子という印象がある人もいると思います。

 

ファミコンやメガドライブがカートリッジなのに対し、PCエンジンはカードの差し込みによりゲームを行っていました。

カセットじゃないぞ!というのは衝撃だった人もいるのではないでしょうか。

 

画像処理能力はファミコンのCPUを上回る性能を持ち、当時は驚異的なグラフィックと音質を再現させていました。「PC原人」などのヒット作品が有名ですね。

 

80年代ファミコンの猛攻

83年に任天堂からファミコンが登場し、そのほかのメーカーもこの流行に乗れとばかりに数々のゲーム機を出すものの、ファミコンには敵いませんでした。

ファミコンがやたらと強かった理由のひとつはソフトの充実にあったと言っても過言ではありません。

自社開発による「マリオ」はもちろん、発売日に平日にもかかわらず行列が出来るほど人が群がったというニュースも有名な「ドラゴンクエストⅢ」などの存在がそれでしょう。

今ではドラクエシリーズは「ドラゴンクエストⅪ 」まで続いていますが、この時からすでに人気は絶頂に達していました。

 

87、88年になりメガドライブPCエンジンという高画質のゲーム機が登場して初めて他のゲーム機にも、より目が向けられるようになったといえます。

 

学校でも「ファミコン派」「メガドライブ派」「PCエンジン派」と派閥があったなーと思い当たる人も居るでしょう。

ファミコン派と名乗ることでメガドライブ派の友達の家に呼んでもらえなかったという思い出があるのは私だけではないはずです。

 

ファミコンでは多くのソフトが、良くても4メガ程度のゲームで、

メガドライブやPCエンジンはその上を行く性能を見せつけたにもかかわらず、それでもファミコンの猛威は止まりませんでした。

 

この理由は、それでもなお出続けるソフトの充実と、「90年代になったら新しいファミコン出すよ!」という宣伝にあったのです。

これにより、ファミコンファンは離れることなく、次なる次世代機へ乗り換え、ファミコンはその猛攻を維持していくことになります。

 

80年代の代表ゲーム

「アイスクライマー」

二人で遊ぶと色んな意味で盛り上がる名作。気遣いが大事なアクションゲームでした。このゲームで友情の芽生え決裂を知ったという人も多かったとかなんとか…

 

「ディグダグ」

ひたすら穴を掘り敵をポンプで破裂させるゲーム。岩を使ったトラップには注意が必要でした。動いているだけ流れるBGMなど、当時はなかなかに凝って緊張感のあるものでした。

「ゼビウス」

名作縦シューティング。移植作は失敗も多く、愕然とするユーザーも多かった中、ファミコンへの移植度は高く多くのユーザーを熱狂させました。

 

「魔界村」

いわゆる死にゲー絶望という意味はここで教わった人も多かったといいます。ゾンビ相手にナイフや槍で立ち向かうアーサーの雄姿。一発でパンツ一枚になり、それでもTPO無視で姫を助けに行く勇気にはいろんな意味で英雄です。

「スーパーマリオブラザーズ」

今も多くのファンをゲットしているシリーズ。このソフトの登場でいっきにファミコンの知名度が上がったと言っても過言ではありません。1アップキノコを追いかけ1ミスするというのはご愛敬です。

 

「ドラゴンクエストⅢ」

人気RPGの第三弾。セーブデータ内臓職業のカスタマイズが話題を呼びました。初見ではシリーズ関係ないの?と思わせつつ最後に明かされる事実に驚いたユーザーも多かった名作です。

 

「ソニックザヘッジホッグ」

セガの人気キャラクター、ソニックのアクションゲーム。かっこいいBGMや目が追い付かないほどのスピード感は今見ても圧巻です。

 

「PC原人」

PCエンジンのヒットゲーム。可愛らしいフォルムと頭突きによる戦いが印象的なアクションゲーム。PC原人のPCとは、PithecanthropusComputerurusという意味。

 

 

90年代ゲーム初頭天下分け目の戦い!

80年代後期から90年代に入っても猛威を振るうファミコンでしたが、メガドライブやPCエンジンの性能にはひしひしと追い詰められていました。

ファミコン信者にもメガドライブやPCエンジン絵が綺麗だし、そっちで遊ぼうかなー?という浮気者が段々と増えてきていたのです。

たしかにこのころになると、ファミコンの単色や単調な音というのは飽きられてきているところもあったのです。

 

ですが、1990年になったとき、ファミコンの後継機が現れます。そう、スーパーファミコンです。

 

スーパーファミコン

スーパーファミコンは、いっきに性能が上がり、拡大・縮小に長けており

色もファミコンの52色から256色、音も様々な音を出せるようになりました。

 

今は「ストリートファイターⅤ」までシリーズが出ている「ストリートファイターⅡ」ですが、当時に見られた肉声音を出すという性能は画期的で、巻き返しを図ったハードです。

「波動拳!」という掛け声を聞いて、波動拳って言ってるすげー!と感動したり、

「テイルズオブファンタジア」にはオープニングに歌が入っていることで失神しそうになるほど感動したものや、

中にはこごもっていて、ちょっと何言ってるのかわかんないというものも。なにはともあれ、新時代の幕開けを感じさせてくれました。

スーパーファミコンの発売日と同時にマリオの新作を出すなどの戦略も見事で、ファミコンの地位をしっかりとつなぐことに成功しました。

 

90年代ゲーム半ばの決戦

スーパーファミコンの猛威もまたソフトの充実によったものでした。

この時代、RPGブームがあったため、今なお「ファイナルファンタジー15」など続く人気シリーズ、「ファイナルファンタジーⅤ」「クロノトリガー」といったスクウェアの名作にも恵まれたのは大きかったといえるでしょう。

任天堂はアクションゲームには強かったですが、RPGには長けていなかったため、スクウェアとの連携はスーパーファミコン独走の要因でもありました。

 

さて、このころNECやセガはソフトをカートリッジカードから、

光ディスクへと移行していました。その理由は容量と制作ソフト費の削減が理由です。

 

しかし、任天堂は読み込みの速さからカートリッジにこだわる姿勢を貫いていくのですが、これが90年代半ばの決戦において大きな影響を及ぼすことになります。

 

そして、94年にセガのセガサターン、ソニーのプレイステーションが登場。

これにより決戦の役者がそろうことになります。

 

セガサターン

セガサターンはソフトにCD-ROMを採用したゲーム機で、それまで再現が難しかったアーケードゲームを見事移植させました。

「バーチャファイター」「バーチャロン」など多くの人気アーケードゲームを移植させ、人気を呼びました。

2Dに特化しており、「サクラ大戦」など美麗なグラフィックのゲームでも人気を集めていました。

プレイステーション

プレイステーションもまたCD-ROMを採用したゲーム機でした。

「パラッパラッパー」「どこでもいっしょ」などキャッチ―な作品もさることながら多くのヒットメーカーとの連携が魅力となったハードでした。

3Dに長けており、ポリゴンを使った「リッジレーサー」などのゲームでも人気を集めていました。

 

各ゲームメーカー戦いの決着

95年になると、セガサターン、プレイステーションが主力となります。PCエンジンのNECも、このころには実質撤退状態となり、

セガとソニー、そして任天堂の三つ巴の戦いであったと言っても過言ではありません。

 

この三つ巴の戦いを熾烈にさせた武器は、なんだったか?

ハードの実力というよりはソフトメーカーにあったともいえるでしょう。

先述したソフトの容量とコストは光ディスクの方がメリットが多く、CD-ROMでゲームを作りたいゲーム会社は多かった時代でした。

多くのゲーム会社が光ディスクでゲームを作り、セガサターン、プレイステーションはそれを武器に戦ったのです。

 

なので、カートリッジにこだわる任天堂のスーパーファミコンは次第にメーカー離れが起こり、ソフトにも恵まれず

後継機ニンテンドウ64もまたカートリッジにこだわったため、任天堂は苦戦を強いられます。

先述した光ディスクでは読み込み時間がかかる!というこだわりがあったため、どうしてもカートリッジを抜けられなかったのです。

 

そしてこのこだわりが致命的な結果を呼ぶことになりました。RPGの提供で大きく貢献していたスクウェアが、

新作「ファイナルファンタジーⅦ」プレイステーションで行うことにしたのです。

光ディスクによる制作費の安価さとプレイステーションの3Dが決め手となったといいます。

こうしてスーパーファミコンまで続く任天堂の天下は、幕を引きます。

 

残るセガサターン、プレイステーションの一騎打ち。

セガサターンとプレイステーションは同時期のハードでかなり似た性能であったというのもあり、同タイトルが両ハードで登場していました。

例えば「ときめきメモリアル」「悠久幻想曲」など、

若干の違いはあるものの、同タイトルとして出ていたため、どちらかのハードを持ってないと遊べないということも少なく、

勝負は専用タイトルで決まるといったところだったでしょう。

 

セガサターンは「サクラ大戦2」などのビッグタイトルや「きゃんきゃんバニーエクストラ」などの18禁PCゲームの移植などで健闘、

プレイステーションは「ファイナルファンタジーⅧ」「スーパーロボット大戦α」などで応戦。スーパーロボット大戦もまた、スーパーロボット大戦Vなど今も続いているシリーズですよね。

 

ソフト面ではいい戦いをした両者ですが、やがてハードの売り値を下げる値下げ競争へと発展します。

プレイステーションは3Dに特化したハードで、複雑そうなハードの印象ですが、実際コストダウンによるダメージは少なく

対してセガサターンは内部構造が複雑で、コストダウンが難しかったことから、この値下げ競争の勝敗は両社を大きく分かつことになります。

 

その結果、セガサターンはこれ以上無い値下げに至り、敗戦してしまうのです。

その後もプレイステーションは人気を保ち、セガはドリームキャストでセガサターンのリベンジを図るも、

プレイステーションの「プレイステーション2が出るよ」というかつて任天堂が行った宣伝活動による影響と、ソフトに恵まれなかったことから連敗

結局この時代の戦いはプレイステーションが勝ち残ることとなったのです。

 

スーパーファミコンの代表ゲーム

「ストリートファイターⅡ」

格闘ゲームの火付け役コマンド入力で技が出る達成感や、技が決まった時の爽快さ。コンボつなぎの工夫は今もなお続く人気ジャンルです。リアルファイト上等で遊んだ人も居たとか居ないとか。

「テイルズオブファンタジア」

勧善懲悪ではないストーリーは考えさせられるものがありました。アクション性を含んだRPGであることや、OPに歌が流れる演出は画期的で、まるでアニメを観ているような感覚にもなったものです。

「ファイナルファンタジーⅤ」

人気シリーズの第5弾。シリーズの代名詞、ジョブシステムがかなり遊べるうえ、ストーリーも凝っており、今なお名作として語り継がれるRPGです。

「クロノトリガー」

坂口博信氏、堀井雄二氏、鳥山明氏による名作RPG。リアルタイムバトルによる緊張感のあるバトル。魅力的なキャラクター。時を越えて星の危機を救うストーリー長編映画を見終わったかのような感動のあったゲームでした。

 

セガサターンの代表ゲーム

「バーチャロン」

ロボットを操り対戦相手を倒す、TPS形式のアクションゲーム。ツインスティックによる操作はあたかも本当に操縦しているかのようでした。カトキハジメ氏によるデザインも人気のシリーズです。

「サクラ大戦」

大正時代をモチーフとし、悪と戦う帝国華撃団との絆を描くADV。彼女たちとの絆を深めるADVパートシミュレーションパートが楽しめました。最後の超展開も話題になりました。

「サクラ大戦2」

サクラ大戦の続編。ADVパートとシミュレーションパートがさらに凝ったものになり、仲間同士の連携攻撃や風林火山の作戦は、ゲーム性を高めました。また美麗なOPアニメは話題になりました。

「きゃんきゃんバニーエクストラ」

PCゲームで人気だった18禁ゲームの移植。人気シリーズのADVであり、最後に待ち受ける結末には、シリーズを知る人はもちろん、ヒロイン「スワティ」好きの人を大いに驚かせました。

 

プレイステーションの代表ゲーム

「パラッパラッパー」

アニマルでぺらっぺらな可愛らしいデザインのキャラクターで表現したラップの音ゲー。名曲も多く、耳から離れなかったという人もいるのではないでしょうか?「Kick! Punch! It’s all in the mind」

「どこでもいっしょ」

ポケットステーションでデータを持ち出し、ポケピと呼ばれるキャラクターと一緒に出掛けるというシステムが話題となったゲーム。しばらく相手するのを忘れてて起動したらいつの間にか家出していて落ち込んだという人も。

 

「リッジレーサー」

ポリゴンの表現でリアルに作り込まれたレースゲーム。レース中にプレイステーションの蓋をオープンし、他のCDを入れると、お気に入りのBGMでレースが楽しめたのも魅力でした。

 

「ファイナルファンタジーⅦ」

人気RPG第7作目。クラウドセフィロスなど人気キャラクターを生み出しました。初のポリゴンは、イベントの盛り上がりはもちろん、アングルの変化や召喚獣、攻撃シーンなど表現の可能性を見せてくれたゲームでした。

「ファイナルファンタジーⅧ」

人気RPG第8作目。恋愛をテーマにし、美麗なグラフィックが話題になりました。今までのシリーズとはシステムが色々変わっていて戸惑った人も多かったですが、それもまた面白みのあるシステムでした。

「スーパーロボット大戦α」

多くのロボットアニメのキャラクターが一堂に介し巨悪と戦うシミュレーションRPG。動く戦闘アニメーション今までのシリーズから一新した事などが話題になりました。このシリーズからスパロボを始めたという人も多くいたのではないでしょうか。

 

セガサターン、プレイステーション共通ゲーム

「ときめきメモリアル」

ギャルゲーの火付け役。3年間学生生活を送る中、意中の女の子から卒業の日に告白されるのが目的ですが、自由に学生生活を送れるのも魅力のゲームです。虚しいリアル学生生活を送ったけど、このゲームで華やかな3年間を送ったというのは私だけではないはず。

 

「悠久幻想曲」

エンフィールドという町の物語。町の人と過ごし絆を深めるADV。多くのルートやイベントで、ラノベを読んでいるような感覚が楽しめるゲームでした。ギャルゲーが流行っていたこの時代で、攻略対象が男性も居るなど一線を画し、仲間とは何か?繋がりとは何か?というのを教えてくれるようなゲームでした。

 

 

覇者プレイステーションの出生の秘密と強さとは?

80、90年代王者スーパーファミコンを破り、覇者となったプレイステーション

ですがそんなプレイステーションが登場したての時、ソニーによるゲーム機ということで「えっ?ソニーがゲーム?」となった人も多かったことでしょう。

 

それまでのゲーム会社同士の戦場に颯爽と現れたこのプレイステーション…実はスーパーファミコンの光ディスク用に作られていたものであったというのはご存知でしょうか?

光ディスクの対応ゲーム機が増えてきた90年代初頭、カートリッジにこだわった任天堂でしたが、

じつはそんな任天堂もスーパーファミコンに光ディスク対応の周辺機器を付けることを計画していたといいます。

そして任天堂が協力を求めたのがソニー。そしてこの時ソニーが開発した光ディスク対応周辺機器、それこそがプレイステーションだったのです。

 

ですが、この計画は白紙に戻り、表舞台には現れませんでしたが、

ソニーによるハード機として改めて任天堂のライバル機になって返り咲いたというのは感慨深いものがありますね。

 

一口にレトロゲームと言っても、各ハードごとにスペック、ソフト、そして物語があります。今私たちが遊んでいるゲーム達もまた、このように振り返り懐かしむ日が来るのでしょうね。

愛すべきレトロゲーム機とソフト達に、乾杯